『言語』に関するよもやま話

2019年6月4日。久しぶりによもやま話。大谷です。
今日『言語6』ができあがりました。今号ははじめての寄稿が掲載されています。山根澪さんの「妊娠の記録」です。僕からするとパートナーなのですが、一応、そういうことを抜きにして共同編集者の小林健司さんと検討し、編集者として掲載を決めています。面白いです。
山根澪さんの寄稿の感想がブログに掲載されているので、そちらも御覧ください。
寄稿という体験

さて、今号は、1号以来続いていた小林さんの「人と言葉の関係論」連載が終わり、前号からつづいていた僕の「これってさ」も後編を無事に書き終え、一段落です。次号からまた新しい展開に入っていきます。

発行間隔が伸びていて、いつも目次横の次号発行予定が詐欺状態になっていますが、本当はもっと出したいと思っています。次号から巻き返すぞ!(大谷)

2017.1.28 追記

 この「よもやま話」のページは、『言語』という雑誌を基軸にした言語ネットワークのようなイメージで書きためていく予定だったのですが、言語3の原稿を進める中で、「言語大学」という動画配信をするようになりました。原稿をほぼ書き終えた時点で、「言語大学」の中で『言語』の中に書いていることのモチーフや、原稿に書く強度までは達しなかったけれど話すことならできるテーマ、なども収録していることがわかったため、こちらのページはそのままに「言語大学」の中でまさに「よもやま話」として話していこうと思います。(小林)

 

 

モチーフとなった雑誌「試行」

 「言語」は吉本隆明が中心となって編集発行していた「試行」(1961から1997まで発行)のスタイルを参考にしています。

 

 吉本は試行の理念を「試行はここに、いかなる既成の秩序、文化運動からも自立したところで創刊される。(中略)同人はもちろん、寄稿者も、自己にとってもっとも本質的な、 もっとも力をこめた作品を続けるという作業をつづけながら、叙々に結晶するという方策のほかに出発点をもとめないしもとめることにあまり意味を認めない。」と創刊号で述べているそうです。(wikipediaより引用)。かっこ良いです。このかっこ良い言い回しは小林の掲載原稿の文体にも強い影響を与えています。

 

 上記のような理念から、「試行」はマスの流通に載せずに原則として直接販売のみで発行していました。「言語」を出そうとするときにぼくも古本屋で数冊買って読みましたが、メールやネットのない時代、直接買いたい人や問合せをしたい人に向けて吉本隆明を含む編集人の住所や行き方(「**駅を降りてタバコ屋の角をまがって*軒先に見えてきます。」というように書いていました。)までが丁寧に書いてあり、発行する人の体温を感じました。寄稿者についても丁寧な言葉で募っており、この販売スタイルや、寄稿について誰にでも開かれている姿勢も「言語」の発行スタイルに影響を与えています。

 

 既成の秩序や運動から独立して創刊するということは、編集・発行をする人と寄稿する人、そして読者しかいないということで、人間の根源的な言語表現は、そのような環境でのみ可能だと思っています。表現には言語以外にも様々なものがありますが、ここでは主に言語による表現のみを扱うという意味で「言語」と題しています。   

(2016.4.1 小林)

 

吉本隆明について

 吉本隆明に僕は強い影響を受けました。『言語にとって美とはなにか』を文字通り死にものぐるいで読みました。途中何度も見失いかけ、それでもどうにか読み通し、吉本の言語理論、文学理論を垣間見て、打ちのめされました。今時吉本でもないだろう、という声があるのは知っています。全共闘世代がこぞって買い求め、ブックバンドから覗く背表紙にしびれたという話も聞きました。でも、あえて言うのですが、どれぐらいの人が吉本を〈読んだ〉と言えるでしょう。時枝誠記、三浦つとむを踏まえ、日本語をここまで鮮明に取り扱った人を僕は他に知りません。もし、吉本のさらにさき、あるいは全く別の日本語を見せてくれる人がいたら、ぜひ知りたいと思っています。読んでみたいと心から思っています。僕達の『言語』は吉本の強固な理論の円錐をどうにか自分の中で整合させようとして、その結果、チューブから歯磨き粉がひねり出されるようにしてできあがっています。

(2016.4.5 大谷)

 

Facebookページについて

 言語』のFacebookページはこちらです。 https://www.facebook.com/gengopage/

 大谷の原稿にある「言語ネットワーク」のように、『言語』というこの媒体自体も動的にネットワークを変化させ続けながら表現を続けていきます。この「よもやま話」のページや、Facebookページに、本文と連動した事柄を掲載していきます。

(2016.4.1 小林)

 

参考文献(大谷隆・小林健司 共通)

 吉本隆明「言語にとって美とはなにかⅠ・Ⅱ」

 三浦つとむ「日本語はどういう言語か」    

 (2016.4.1 小林)

 

 

『言語1』に関するよもやま話

「三浦つとむ」について(小林健司「人と言葉の関係論」に出てくる

 実は三浦つとむは吉本隆明と家族ぐるみの付き合いをしていたのだと、本を読んだ後にインターネットを見ている時に知りました。「言語にとって美とはなにかⅠ」の中で、吉本は三浦を始めとした言語学者を引用してはバッサリ切るということを次々にしていますが、三浦はその後「試行」にも原稿を寄稿していたようで、吉本の書いたことが自分の探求のさらに先にも届くようなものとして嬉しかったのではないか?と想像しています。  

 (2016.4.1 小林)

 

 

「お好み焼き」について(大谷隆「書かれたものはその時点での書いたものの死体である。」に出てくる)

 僕が慣れ親しんだお好み焼きは大阪のお好み焼きで、広島のお好み焼きは「広島焼き」とか「広島風お好み焼き」というお好み焼きの亜流というかそんなふうに思っていました。でもある時、広島出身の人に「お好み焼きと言ったらあれで、広島焼きなんて誰も言わない」と言われて、衝撃的な痛みを覚えました。「大阪焼き」とか「大阪風お好み焼き」と言われたら僕もやっぱりそう思うと思います。言葉というものを考えた時に、僕は今でもこのことを思い出します。   

(2016.4.1 大谷)

 

 

「言語ネットワーク」について(大谷隆書かれたものはその時点での書いたものの死体である。」に出てくる

 「言語ネットワーク」という言葉は大谷のつくった造語。吉本隆明は言葉を織物にたとえて、その縫目に「像」があらわれるとしていますが、その「喩」をもう一歩おし進めたものが「言語ネットワーク」だと言えるのではないかと、僕(小林)は思っています。

 人の中にこの言語ネットワークが意識に覆いかぶさるように存在していて、瞬間瞬間にネットワークを変化させて言葉を表現していて、その相互作用や相互規定性によって、人の関わりの多くも捉えられるのではないかと思っています。この「よもやま話」のページは、『言語』という雑誌を基軸にした言語ネットワークのようなイメージで書かれています。   

(2016.4.5 小林)

 

 

 

『言語』編集兼発行人

大谷 隆(おおたにたかし)

言葉の場所「まるネコ堂」代表。宇治市出身。宇都宮大学で機械工学を学んだものの博士課程で研究に挫折し中退。文章の仕事をしたいと思い、企画編集会社、NPO出版部門で勤務。その後独立。生きている時間の大半を考え事に費やしつつ、寄ってたかって本を読む「まるネコ堂ゼミ」、「読む・書く・残す探求ゼミ」等を行う。    

ウェブサイト:まるネコ堂

小林健司(こばやしけんじ)

愛知県春日井市出身。大阪教育大学在学中に教育関係のNPOの起ち上げに関わり、卒業後も含めて約十年勤務する。ソーシャルビジネスの創業支援をするNPOでの勤務を経て独立。2016年11月、滋賀県北比良にセルフビルドで建てたログハウスに拠点を移す。響き合いながら響存(きょうぞん)している人と言葉の探求家。

ウェブサイト:スペースひとのわ

Twitterにて、定期的に言語に掲載した原稿の一部を呟いています。

 


お問い合わせ

611-0011 京都府宇治市五ケ庄広岡谷2−167 まるネコ堂

marunekodo@gmail.com